2008年1月27日

ものを通じた縁

私はお金を使うときは、この人にお金を払うんだ、ということを強く意識するようにしている。ただほしいものを手に入れるために、何気なくお金を出すのではない。私が払うお金がこの人の生活を支えること、その人の提供するサービスや物品にそれ相当の価値があることを確かめる。そしてそれらをクリアして、この売買行為が自分自身を満足させることが大切。

今から8年ほど前、私のお金の使い方について、考え方を変えるできごとがあった。
京都ものづくり塾で活動し始めたばかりの頃、くりすたるあーとの林氏に僕の携帯に絵を描いてもらったことだ。次々に機種変更をしてしまう携帯電話に、決して安くない額で友禅職人に絵を描いてもらうこと。それは今までにないお金の使い方だった。でもこれが、林氏をはじめとする職人の方々との縁を作り始める機会となった。下記サイトには、今もその携帯は掲載されている。
http://www5.ocn.ne.jp/~cristal/keitai.html

きっと、京都を支えてきた職人の世界の仕事は、もの(仕事)とお金のバランス感覚を生み、人どうしの縁と信頼関係を育んできたのだろう。お金は、欲を満たすためにただ使うものではなく、ものを通じて縁をつくる道具でもあるのだ。その商品を手にしたり、身につけることでその人の一部を共有し、自分の糧にする。そんなふうにお金の使い方を選んで、自分の人生を豊かにしていきたいものだ。

2008年1月14日

1人の100歩より100人の1歩


1/13(日)百万遍で田中優氏の講演会を聴く機会を得た。あっという間の3時間だった。
六ヶ所村の核燃料再処理施設の問題を皮切りに、日本のエネルギー政策の問題点を指摘し、各地の紛争はすべて資源争奪によって引き起こされていること、環境問題の現状と私たちに今できることまで、多岐にわたった。
圧倒的な情報量と明晰な論理は、150名の聴衆を圧倒し続けた。彼は淡々と無感情に講演を終えたが、熱くなければ、こんなにも情報を集め、分析することはできないだろう。社会にはびこる利権の裏でうごめく企みを解明し、解決策を提示する。もう答えはすべて彼の手の中にあった。あとは、それを実現するだけだ。
そこで彼は言う。

「僕1人が100歩走るよりは、100人が1歩踏み出した方がいい」

彼がこうして講演活動を続ける所以はここにあるのか。
こう言われて、みな聴衆は熱くなっていたに違いない。
もちろん、私も。

2008年1月6日

売り手の論理と買い手の気持ち

企業は、商品をできる限り高く、できる限り多く売って、多くを儲ける。そのために、消費者の心をくすぐり、できるかぎり多くを買わせるようにし向ける。生産資源が枯渇すれば新しい資源を求めて掘り起こし、資源価格の高騰は消費者に跳ね返すしかない。多くの資源を使用しても、収支の上で損さえしなければ問題ない。歯止めをかける論理はそこにはないため、環境保護の観点からは悪循環に陥るが、資本主義的には、それが正当化される。そして、多くの男性は企業に勤め、その考え方に基づいて稼ぎを得て、生活を支えている。

一方、消費者は企業に揺さぶられる欲を抑制し、できるだけ支出を抑えることを考えなければならない。また、環境破壊は、食物資源の枯渇や電気代の上昇などを通して、生活を支える家計に直接影響を受けるため、環境に対する意識が自然に芽生えてくる。これらの役割は、女性が担っていることが多い。

同じ屋根の下に暮らしていながら、別のベクトルを持っているように思える。企業と消費者の駆け引きは、形を変えて至るところに見受けられる。「欲」に任せた資本主義の論理はすでに破綻しているように見えるのだが。両者を繋ぐ手段は「美意識」だけではなかろう。理論的に解決できる手段がなければ、どうにも止まらない。