2007年9月24日

西陣ツーリズムの可能性

9/22(土)、京都ものづくり講座で、「西陣ツーリズムの可能性検証」という主題でプレゼンテーションをさせていただいた。私のこれまでの活動とそれを通して感じてきたことを整理しなおし、それらを「ツーリズム」という形に投影することを試みた。名所旧跡やプロダクトといった一般的な視点での議論は、ここでは取り上げず、人に蓄積された価値に焦点を当てた。それは、西陣織の仕事に携わり、そこに住み続ける人々に固有の価値を見出し、今の社会にないものを提示したいと思ったからだ。これこそが、世代の断絶によって消失される危険が高く、新たに復興することができないものではないだろうか。それをツーリズムを通して伝えたい、というのが私の願いだ。

ただ、ツーリズムで多数の人にそれを伝えることは簡単なことではない。短時間の滞在で観光者が受け入れられる形にして、それを見せつけなければならない。また、観光事業の中で職人が実際に伝えていくためには、プロダクト生産の傍ら、ガイド役としてのスキルを磨かなければならない。それらを組み合わせて事業として成功させるのは、簡単なことではない。まだまだ、これから様々な主体の方と対話を続けながら、実現に向けて活動を継続していきたいと思う。

2007年9月17日

祖母のメッセージは


今月、祖母の3回忌を迎えた。まだ暑さの残る墓の前に、この数珠を持って立つ。これは、祖母が私のために遺したもの。

生前の彼女は「私が死んだら仏壇の引きだしあけや。遺言入ってるし。」と私に話した。「あと...あんたあけや。」その後、何かを言おうとした彼女は言葉を呑んだ。そこに何かあることは容易に想像がついたが、深くは追わなかった。

それからほどなく、その日がやって来た。その時、その言葉はすぐに思い出せなかったが、確かに仏壇から遺言が出てきた。そして、同じ所から、男性用の新品の数珠が見つかった。これは、明らかに本人が使おうとして入れておいたものではない。

この世に遺した形見は、彼女の願いと彼女が私に伝えたかったことが折り重なって形になったものだと思う。自分の亡き後のためにメッセージを遺す人の思いは、今の私には計り知れない。

つつましやかに、そして直向きに生きてきた彼女の人生の一端を思い返す。私は、彼女の人生のほんの一部しか知らないが、その記憶からメッセージを読み取るしかない。その全容は今すぐにはわからないし、歳を経るなかで学んでいくしかないのだろう。私たちの今は、幾重にも重なる先人達の生みだしたものがあってこそ。この数珠は、いつもそれを思い起こさせてくれる。