2006年2月26日

伝統の知を伝えるために

生きた情報は生きた人、体を通してしか伝わらない。
文化を伝えるときには、いったん人の体に蓄えないことには、なにも伝えることはできない。
Webや動画などのメディアに残したとしても、それは所詮、データだけ。
生身の人からにじみ出る情感や臨場感は伝わらないし、それなくしては、思いは伝えられない。
情報は、なにかを介在させることで必ず減衰するし、メディアを介すると曲げられる可能性すらある。

「文化とは、形を変えて思いを伝えるもの」

故野村万之丞氏の言葉である。
今、日本の伝統的な文化を支える人たちのなかは、超有名な若者もいるが、それを土台となって支えてきた職人や語り部はかなり高齢の時期を迎えている。
人は死んでしまったら、もうなにも聞き出すことはできないのだ。今のうちに、彼らから話を聞けるうちに、私たちの体の中に蓄えなければ、なにも受け継ぐことができない。「知りたい」と思ったときに知る術をなくしてしまう。急がねば。

日本画の画材と日本人の感性

100年続くという京都市内の画材店を訪れた。京都では、もう2件しかないという画材の製造から販売までを行っている小さなお店だ。
ここでいう画材の製造とは、もととなる石を砕いて染料をつくることを示す。
店主の話には、日本人だからこそ持ちうる日本画の環境を説く。
日本の画材は、膠(にかわ)という牛や猫などの動物の皮や骨からつくる液体で染料を溶く。
これは筆で延ばしたり細い線を描くことが可能にするという。
油絵では、繊細な線を引くことはできない。まだ、色も40種類程度しかないという。日本画の染料は800種類を超えるという。
筆にも、弾力の強い毛や水分を多く含むなどの特徴のある毛を組み合わせて、細く長い線を描くものや、染料を延ばすためのものなど、用途に合わせてつくられている。狩野派、土佐派などの系譜によっても、使用する筆の種類は異なるという。

油絵を描くゴッホは、日本人の描く線に憧れを持ったという。
これらの道具と染料を駆使することで技術力を、さらに四季を彩る花々が日々の暮らしの中で、色彩感覚を磨いてきたのだろう。
なるほど、日本人の繊細な感性と精緻を極める技術はここに根付いているものなのか。

でも、芸術大学の学生さんの多くは、日本画ではなく、洋画を選択するという。
日本には、これほど素材やお手本がそろっているというのに。