2007年11月25日

古知谷カエデの紅葉は

この三連休、京都が迎える観光客はピークに達し、名所はどこも人でいっぱいだ。一昨日の嵐山は史上最多の人出だったとか。
そんなこととは縁なく、私たちは美しい紅葉をしっとり楽しむ。今年は、古知谷(こちだに)の阿弥陀寺を訪れた。古知谷は、三千院で知られる大原から、更に北へ20分ほど歩いたところ。ここでは、人里離れた山の紅葉を楽しむことができる。お寺へ続く道は、霞がかっており、霊気すら感じさせる。清浄な気持ちにさせられる。木々の間から射す光が照らす紅葉は、なにより美しい。

この阿弥陀寺で注目すべきなのは、樹齢800年近いという古知谷カエデ。京都市の天然記念物にも指定されている。高くそびえるその姿は圧巻である。しかし、このカエデに元気がない。住職によると、以前より発色が悪くなっているようだ。「温暖化の影響」という言葉をやはりここでも聴いた。今年の夏は、老体には堪えたに違いない。

一つ一つの事実を拾い集めて、自分の日々の生活に持ち帰る。今、自分にできることは何かを考えさせられる。

2007年11月18日

「メッセージなんてものは...」

「メッセージなんてものは、伝わるべきものだなんて思ってないんです。」
これは、4年前に放送されたテレビ番組「クリスマスの約束 2003」での選曲について桜井和寿氏が話したこと。そして、彼は続けた。
「僕が投げたボールを誰も受け取ってくれなかったとしても、それを投げたことによって、その後に起こる偶然を変えられるんじゃないかと思うんです。」

「メッセージ」は他人に伝えるために言うものだと思っていたが、確かに正確に伝えることは難しい。同じ言葉でも、受け止め方は人によって異なるし、どの程度伝わったかなんて効果を測ることもできない。
その一方、「メッセージ」は自分に対しても作用しているということだ。自分がその言葉を発することによって、その言葉に自分なりの責任を持とうとするし、自分の行動に影響を与える。それが、自ずとその後のストーリーを展開させる。更にそれは、新しい縁をつくり、新しい事業を生みだす。
たとえ今、伝わらなかったとしても、そんな自分を見てくれている人は必ずいる。メッセージを発することはそんな意味も持っているのだ。

2007年11月10日

行政の肥大化と市民の満足度

「行政の仕事が拡大すると、市民の満足度は低下する。」
一見逆説的のようだが、確かにそのとおりだ。
「市民満足度はいつまでも上がらない。人の欲求は際限がないからだ。行政が新しい事業をするたびに、市民の要求は発生する。他人にやってもらえると思えば、人の期待は尽きない。」
これは、ある大学教授が話していたこと。彼は企業の社長、市長を経て、現在は大学で教鞭を執る。

行政は「市民のニーズがあるから」と新しい事業に手を出しがちであるが、そのスタンスは本当に正しいのか?現状の肥大化した行政と職員の意識、税金の使い方、このままでいいはずがない。

そこで、「市民参加」の出番だ。市民参加は特定の部署で進めることではなく、ほぼすべての行政活動に必要なことだと思う。どんな政策も市民自身の問題であるし、市民自身がそれに向き合うことで、行政との関わり方は全然違ってくる。

市民と行政が一緒になって考え、共通の目的のために、意見を出し合う。市民の提案を生かし、行政運営に反映させる。提案が採用されることは励みになり、新しい提案を創出し、好循環を生む。

自分たち自身で考え、できる限りのことをやれるだけの機会を得るだけで、関わり方がまったく違ってくる。傍観者ではなく、当事者として考えるからだ。

そんな気持ちが、人を、街を動かしていくモデルは、ブログミーツカンパニーの事業に生きている。ここには、大きなポテンシャルが潜んでいる。

2007年11月4日

NPOの特性、行政の特性

行政とNPOの交流会研修に出席した。NPO、行政の人がお互いのことについて知り、協働への道筋を見出す。
行政の人は、NPOがどういった活動をしているのかよくわからないという。確かに、わかりにくいかもしれない。私たちNPOの立場にいても、他団体の活動の中身は聞いてみなければわからない。でも、運営している人たちの話を通して、それを支える人たちの思いや社会課題を知ることができる。

これは、既成の概念にない事業をしているからではないか。メディア等では社会問題として大きく取り上げられないが、当事者として苦しんでいる人たちがいる。そんな人たちの力になりたい、誰もしてくれないなら自分たちでやるしかない、と熱い思いを持って立ち上がっている人がNPOに多いからだろう。といっても、体制は脆弱だ。社会的信用も低いし、広報力が弱く、事業展開にも限りがある。

一方、行政は既成の事業しか行わない、行えない。新しい事業を始めるには様々なハードルがある。既存の事業で精一杯で、個々のNPOの活動領域にまで目が行き届かないのが実情。だからこそ、細分化された社会問題に個別に対応し、「かゆいところに手が届く」行政にしていくためには、NPOの力は不可欠と思う。行政の社会的信用と広報力をもってNPOに”箔をつける”ことで、NPOは生き生きと活動できるようになるのではないか。

NPOと行政、お互いの特性をよく分析し、社会問題を効果的に解決していけるシステムを構築していかなければならない。