2006年5月21日

庭のこころ

妙心寺退蔵院を訪れた。
狩野元信が作庭したという枯山水庭園は立派であった。
丁寧に手入れされており、春の花が美しく咲き誇っていていた。
最近、自宅の庭を本格的に手入れし始めめたら、庭を美しく保つことがいかにたいへんなことかがわかる。1本1本の木々に命がやどり、季節の巡りとともにひたむきに生きていると感じる。これらが美しくあるように、いつまでも美しくあるようにと願い、これらに花が絶えぬように、常に目をかけ、手をかけてやる。
庭は生き物である。庭を護る人は、「世話をする」といいながら、それを通して日々それを楽しむ心を持つ。古来から日本人は、こうして自然と共存する心を培ってきたのだろう。

2006年5月13日

貢献に必要なこと

昨年、市民活動総合センターで行われた「企業の社会貢献」のセミナーに参加した。
そこでは、2社の事例が発表された。
1件は老舗のお香メーカーの松栄堂。社長の畑氏は、「社会に貢献しなければ企業として存在する価値がない」と潔く話す。お香の原料となる沈香、伽羅、白檀などの香木は、主にインドネシアなどが原産で、お香をつくるためには、それらを切る必要がある。松栄堂では、人材を派遣し、森林保護のための活動をしている。また、お茶やお香を通した文化交流もインドネシアで行っている。
2件目は、文房具卸のカスタネット。大日本スクリーンの社内ベンチャー制度から生まれた。文房具を客先へ届ける際に、客先で余らしている中古文房具を譲り受け、カンボジアの子供たちへ送るというボランティアをしている。その活動はどんどんひろがり、カンボジアに学校を建てるまでに至った。
さて自分はと振り返ってみると、なにも成果らしいものは見あたらない。
会社に入って2年目の頃、会社員の立場から、苦境に立つ西陣織の現場に貢献できることはないかと考え始めたが、「貢献したい」と思っても、相手のことを知らなければ、なにも貢献できない。職人の思い、産業構造の課題、そして市場活性化の打開策...自分にはなす術がないことを痛感し、まずは現場の職人たちの話しを聞き、学ぶことから始めた。相手の抱える課題をつかみ、そのなかで自分の持っている力を使うことで何ができるかを考える。「貢献」するためには、まずは相手のことを知らなければ、なにも始まらない。これは、「社会貢献」などという特別なことではなく、社会で仕事をしている人がやっていることと同じだ。「社会貢献」は遠く離れた所にあるものではなく、私たちのすぐ近くにある。
松栄堂の畑氏は、社会貢献に大事なこととして、3点をあげた。
・自分の中からふつふつとわき起こる意志(石)を見つめて、それを信じて打つということ
・そして、自分の打った石をメンテナンスし続けること
・人の力を借りてまでやるのではなく、自分の手の届く範囲で自分の力でやること
そして、最後にこう締めくくった。
「結果をもとめるのではなく、それを通して生まれる縁を楽しむこと」
そう考えることで、力を抜いて続けていけそうな気がする。

2006年5月7日

今宮祭


5/5(祝)、今宮神社の例祭「今宮祭」を見に行った。
西陣の人々にとって大切な守り神なのだが、私が巡行を拝見するのは今年が初めてだ。
13時過ぎ、今宮神社を出た氏子の各町の方々が鉾を携えて巡行するのに続いて、3基の御輿が西陣地域を練り歩いた。
北大路通には、巡行を楽しみにしていた近隣の人々が軒先で巡行を待ち受ける。「昔は御輿を担いだ」と得意げに語る人もいた。地域の人たちとともに歩んできた祭りの姿がそこにはあった。
16時過ぎ、御旅所に到着した金の御輿が、青空に美しく映える。
老いも若きも入り交じり、御輿や剣鉾を担う。子供はお札を売りに歩く。この日だけは地域の人の共同作業だ。祭りに熱い人たちの心意気に、観客の私たちも血が騒ぐ。祭りを継いでいく喜びが若い人に伝わり、地域をつなぐ軸となって、いつまでも続けられることを願うばかりだ。