2006年3月26日

伝統文化を伝えるネットワーク


毎年、随心院で行われる「はねず踊り」の保存会会長との出会いは、今年の1月4日。
「山の神」という伝統行事だった。山裾のご神木のところに地域の人々が集まり、餅を焼いて食べる。神に餅と御神酒を供え、祈りを捧げる。
かつては、京都の山裾の地域では、あちこちで行われていたそうだが、今はほとんど残っていない。
地域の行事のひとつであった「山の神」の文化が薄れていき、コミュニティが崩れていっていることに危機感を示す。山に神聖さを感じ、自然に畏敬の念を持つことは、農耕民族である日本人にとって、根源的な文化である。
この文化を残せるよう、力を合わせよう、とその日は別れた。

今日は、彼の招待で随心院を訪れた。
「はねず踊り」には地域の人たち、観光客らが訪れ、大盛況だった。はねず踊りに続いて演じられた千本ゑんま堂狂言も、多くの人を楽しませた。
「練習をしても発表する場がないとなくなっていくから」と32年前に復興した「はねず踊り」は、今や地域にとってなくてはならない存在だろう。
当日は、地域の人たちが次々に彼に声をかけ、彼は休む暇もなく皆と言葉を交わす。彼の人脈と行動力には、驚かされるばかりだ。

「ネットワークをつくりたいんです」と彼は今日も熱く語ってくれた。
新しい縁が、伝統文化を支える人たちを大きな舞台へ導く。この縁は、新しい展開を生むに違いないと確信する。

「花鳥風月」画

京都市美術館で行われている「花鳥風月」画展を観賞した。

もちろん日本画。日本の四季を描いた数々の作品が展示されていた。
自然との対峙の仕方は、日本と西洋とでは基本的に異なる。
日本を含む東洋では、自然と共存しながら自然とのつきあい方を常に模索し、暮らしを立ててきた。
一方、西洋では自然は人間よりも下位の存在と考えられてきた。襲いかかる自然の災禍は、ねじ伏せるべき対象である。

日本人は、四季を通して自然とつきあい、木々や鳥たちを見つめる中で、自分たちの生きる摂理を見いだしてきた。自然に生きる術を学びながら、そこに美を見いだしてきた。そのことを作品たちは語っていた。

風に揺られる松の木に戦乱を批判的に表現したもの、月を待つ女性の心を表現するもの、...

かつての日本画壇たちが自然の中に見た感動は作品に投影されている。その自然観は、時を越えて今、私たちが作品を目の前にして実感することができる。

力でねじ伏せるのではなく、調和と美を求めること、花鳥風月画は今の世になにかを伝えているようにも感じられます。

2006年3月4日

ストーリーと縁

個々の事業は、自らの描くストーリーの上に乗っていなければならない。
個々の事業は、自らの履歴書になっていく。この事業は、
・この目的のために
・この時期までに
・こういう方法で
・これだけのことを
「やり遂げる」ことを描く。その時初めて、事業がひとつの成果になる。
そして、自分を次のステップへと導いてくれる。
なんでもやっていれば実績になるというものではない。

とはいえ、仕事は不意にやってくる。
ならば、仕事しながら、続けながらその中で、その仕事のゴールと、次のステップを描くことはできる。
ベクトルを持って進んでいけば、あとは「縁」というものが自分を導いてくれる。
自分のストーリーのなかで、その事業がどういった意味を持つのか、どういったスキルを身につけさせてくれるのか、そのときはわからなくても、あとで振り返ることでわかってくる。

ひとつひとつの「縁」を積み重ねて、自分は進んでいく。多分、自分が目指しているところへ。