2006年1月22日

日本人だからできること

日本には春夏秋冬、四季が均等に巡ります。それぞれの季節には、その折々の花が咲き、私たちはそこに美を感じ、それを味わう心を持っています。
そして、秋に実りを迎える農耕民族としての暮らしのサイクルがあります。五穀豊穣を願い、自然の恵みに神を感じる信仰心があります。
日本人が勤勉であり、感性が豊かだと言われるのはそういったところからかもしれません。
世界的な画家ゴッホは、「日本人の目を持ちたい」と日々話していたそうです。彼が浮世絵や版画をモチーフに数々の作品を手がけたことは知られているとおり。彼はフランスの中で、最も日本に近い環境とされる南部に住むことにしたといいます。
自然の中の生き物である私たち人間が、多くの自然環境と触れ合う機会を持つことができるというのは、本当に幸せなことなのかも知れません。
だから、そこで、何を生みだすか?
そこに私たち日本人だからこそできることが、見つけられるように思えます。

2006年1月16日

原点

京都ものづくり塾での活動を本格的に開始してから、現在の図案塾に至るまで、6年が過ぎました。いま一度、このサイト開設にあたり、原点をここに示しておきたいと思う。
2000年に書いたエッセイ。

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西陣織と私
先日、呉服卸大手の丸勝(京都市下京区)が自己破産したのは、すでに報じられているとおり。それと時期を同じくして、西陣織を織り続けている私の父親が「明日から仕事がない」と言った。丸勝の影響を直接受けたわけではないようだが、かなりショッキングな話を立て続けに聞いたものだから、かなり驚いた。まだ、和装業界の倒産は続くと父親は続けた。

とうとう、そんな話を聞くときが来てしまった。近年、西陣界隈では、織機の音が随分と聞こえなくなってきている。ほんとうにさみしい限りである。先日のNHKのニュースでも、「京友禅の出荷量は最盛期の9%」と報じていた。織機の音も聞こえなくなるはずである。

私が小学生の頃、クラスで半分は家の稼業が西陣織関連の家庭だった。そのときは何気なく見ていたが、考えてみると、すごいことである。でも、そのうち、どれだけが今も残っているのか。

私も小さい頃から、西陣織は不景気で...という話を聞かされてきた。なので、父親は代々続いてきたこの稼業を私に継がせようとはしなかった。「この仕事では食べていけないから」と。西陣織の会社もリストラ、リストラでたいへんです。賃金何%カットとか、繰り返して、私の両親は以前と同じように働いているのに、給料はバブル期の半分にも満たない。そんな話がありますか。会社としては、この賃金でいやならやめてくれていいよ、というような姿勢らしい。両親は言う。「もう、仕事としてではなく、道楽でやるしかない。」

そう言っても、親の代でこの稼業が終わってしまうのは、すごく悲しいことである。私は生まれてからずっとこの家に生きてきたので、西陣織が特に貴重なものと感じずにいたのだけど、京都以外のところから来られたひととそんな話をすると、やはり「伝統産業の稼業を継がないなんて、そんなんもったいない」とよく言われる。京都以外の方と接する機会を持って初めて、その貴重さに気がついた。

だからと言って、その業界に飛び込んでいくほど、無謀なことはできなかった。ならば、それを横から支える立場になって、今までの和装業界の人とは違った視点から、この伝統産業をどうにかできないものか、と思って1年前に活動を始めたのが、この「京都ものづくり塾」である。

今からちょうど1年ほど前、私の父は仕事が忙しいと言っていた。「なんで忙しいのん」と聞くと、父は「なんやようわからんけど、商品があたったらしい」とのこと。どうやら、この業界ではマーケティングなどということはほとんど考えられてないようだ。商売をするのであれば、どんなひとの、どんな心理をくすぐって、ものを売りたいか、どんなものが受けるかを考えて作るのが、当然考えることだと思ったのだけど、この業界にそういう考え方がちゃんとできていないらしい。ならば、会社員として生きている自分は違った視点からものを言うことができるのではないかと思った。そして、ここでIT技術を持っている人間が少しでも関わることによって、なんらかの新しいものが生まれれば嬉しいと思ったし、こういった境遇にいる自分の使命でもあると思った。

それが、「京都ものづくり塾」に入ったきっかけなのです。
それ以来、自分に何ができるだろう?と自問自答しながらしばらくの間、紆余曲折してきた。今年からは、ほんとうに全力で走ってきた。

でも、間に合わなかった。自分の親を救うこともできなかった。

先日、父親が「京都ものづくり塾に力になりたい」と言ってくれた。私が週末になると、ものづくり塾で忙しく奔走しているのを見てのことだろう。とにかく、全力でやらなければ、時間がない。ものづくり塾のコンセプトはきっと、多くの人に共感を呼ぶものであると確信しているし、とにかくもっと多くのひとに知ってもらって、この活動を社会的に認めてもらえるような形にしたい。そして、おこがましい言い方かもしれないが、未曾有の危機に直面している伝統産業に新しい活路を見出したい。

2000.5.17.

2006年1月15日

「文様ゐろは」1月講座

「文様ゐろは」1月講座では、講師を担当した。
講義内容は、季節の文様「梅」と2月の歳時記「節分」が中心である。
・節分とは何なのか?
・鬼の容姿の由来は?
・なぜ、豆を投げるのか?
さまざまな疑問に答えるものである。

伝統行事を紐解いてみることは、私たちの日々の暮らしのメカニズムを知ることである。なにげなく、あたりまえに接している伝統行事は、必ず何らかの思想や原理に基づいて脈々と営まれているということがわかる。それを知った上で、私たちが何を生みだすことができるのかを知ることができると思う。まずは、基礎固めだ。