2006年4月30日

時の栞


昨日、壬生寺の大念仏狂言を観賞してきた。昨年に続いて2度目だ。
私の祖母は、四条堀川付近に実家があったので、子供の頃よく見に行っていたそうだ。祖母はあまり京都の祭礼を見に行ったりしないが、これに関しては無言劇のおもしろみや炮烙割りの情景を生き生きと語ってくれた。
私は昨年初めて観賞し、そのおもしろさを共有することができた。時を越えて、同じものをライブで見て感想を共有することができた。少し不思議な感じがした。
大念仏狂言は、演じる人が交代しても脈々と受け継がれ、同じ番組を同じように演じている。そして、私たちは祖母と同じように楽しむことができる。祖母がいなくなってしまった今でも。
秋元康氏がこのようなことを言っていた。「京都の人は町の行事を栞として持っている。」
毎年、同じように必ず巡り来る歳時記は、私たちの生活のリズムとして息づいている。でも、それはこれまでとは絶対に違う現在で、必ず数々の思い出を連れてやってくる。
来年は、どんな思いで壬生狂言を観賞することになるだろうか。

2006年4月23日

京繍に見る京の四季


思文閣美術館で行われている「京繍 長艸の仕事展」を観賞してきた。
100種もの糸を使い分けて繊細な色づかいを魅せる作品、幾重にも縫い重ねて重厚感を味わうもの、着物全体に豪快に桜を描いたもの、洛中洛外図までもが刺繍で表現されていた。
まさに圧巻である。
作家とは、常に「新しいものにチャレンジ」し、見る人の「期待を超越して」いくことが必要と彼は言う。
「裏打ちされた技術」に対する真摯な姿勢は、私たちを熱くさせる。

文様には、季節を追って四季を彩る花々があしらわれている。
梅、桜、杜若、藤、...
長艸氏と作品を観賞する人々がこれらに美を感じるからこそ、こうして代表的なモチーフとして選ばれ続けていることだ。
そして、京都には、それぞれの花の名前を聞けば誰もが思い浮かぶ名所がある。
北野天満宮の梅、円山公園の桜、大田神社の杜若、平等院の藤、...
京都では、職人たちだけでなく、一般庶民がこれらと日常的に接し、感性を磨いてきた。
至高の作品はこうした環境で育まれてきた。
これらを味わう心、私たち日本人の特権ではないか。

2006年4月16日

そばにあるもの


ふと気が付くと、庭のアオキが赤い実をつけていた。だれにも気付かれていなかったかもしれない。
昨年の秋に祖母が他界してから、この庭の主になった私は、時々落ち葉を拾ったり水をやったりはしているものの、じゅうぶんに庭の世話をしてやれているとはいえない。
祖母がいたときは、いつも祖母が見守っていたので、人の存在を感じ、花をつけたり実を付けたときに喜んでくれるひとがいたので、張り合いがあっただろう。「花も人の存在を感じるみたい。見たり触ってやったりすると喜ぶよ。」と姉は話す。
祖母が永年にわたって大事にしてきたの思いが今もこの庭には生きている。それを譲り受けることになった重責はひとことでは語れない。「伝統文化を伝える」などとたいそうなことを言う前に、守るべきものがそばにあることを教えてくれる。

2006年4月9日

コミュニティというシステム


今日、4月度の「歩こう!」を実施してきた。
高校時代の友人が2名の友人を連れて遊びに来てくれ、いつものメンバーとうち解けて会話している様子が見て取れた。初めての参加とは思えないほどみんなと話していた。
今日は行程を大幅に遅れて歩くことになり、予定していた場所を1カ所見送ることとなった。いつも以上にみなの会話が弾み、なかなか歩き出さなかったこと、ゆっくり歩いていたことが理由と考えられる。10数名のメンバがだいたい相手を変えながら、なにかしら話したり地図を片手に自分の足取りを確かめたりしてこの会を楽しんでいた。
自分の願っていた形に本会が成熟してきていることを実感した。

思えば一昨年の秋、本会を立ち上げたときは、すべての人が見知らぬどうし。私も初めて会う方ばかりだった。私が時間とエネルギーを割いてすべての参加者へ連絡をとり、会の運営を通して対話し、本会に期待しているもの、みんなの背景にあるものを聞いてきた。それから例会を重ね、懇親会を行うなかで、みなの顔と名前が一致するまでになり、みなが一緒になって話し、冗談を言い合うまでになってきた。

ここに小さなひとつのコミュニティができあがってきた。
もはや、私が介入しなくとも、自動的に動きだす理想的なシステムになりつつある。例会を設定するだけで、参加者のみながこの場にやって来て、勝手に楽しんで帰る。彼らの笑顔と出席率の高さはそれを語っている、と思いたい。

2006年4月2日

グローバルな場で活躍するために

企業などで事業戦略を練るときには、よくSWOT(スウォット)分析を行う。強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)の4つの切り口で、マーケットでの自らの位置づけを分析することである。
自らの持てるものとそうでないものを認識することは極めて重要である。自分の力量に似合った仕事でなければこなすことはできないし、より強くなるためには、弱みを補うことを考えなければならない。
しかし、足元を見つめ直すことは後回しにされがちで、そして、日々その渦中で客観性を持って正しく認識することは意外と難しい。企業に限らず、自分自身のことでもそれは同じ。

グローバル化が進む中で、今、日本人は世界各国に活躍する場を拡大している。外国を相手に話をする場合、大前提が違っている場合がある。相手のことを理解するためには、自分のことを正しく認識することがまずスタートではないか。お互いの違いを認識するためにも、日本人だからこそ育んでくることができた日本の文化を知ることは、伝統文化に携わる人だけでなく、すべての日本人にとって必要なことではないか。日本人の強みとその根拠を認識することで、それを武器にもっと広い舞台へ躍り出ることができるのではないか。