2007年12月24日

新しい門出

京都ものづくり塾の創立当初、一緒に活動していた仲間が新しい門出を迎えた。小さいながらも北区にお寺を持つことになったのだ。彼は3年前に出家し、僧侶になるための修行を積んできた。その修行期間を終え、念願のお寺を持つに至ったのだ。

先日、彼のお寺でのお披露目に呼んでもらった。写真は、そのときに振舞ってもらった精進料理だ。もちろん山菜が中心で、肉は一切使わない。大豆を使ってうなぎに見立てたものや、ハンバーグならぬ蓮根バーグはぜいたく品だ。

「この格好してるといいよ。お年寄りと話ができる。」と彼は言う。彼は、以前からお年寄りの存在を大事に考えてきた。その人柄を感じさせる言葉だった。
ステージは違えど、彼も自分のやりたいことを実現していっていることは、自分にとっても大きな励みになる。私にはまた来年、大きな波がやってくる。その先に何が待っているのか、楽しみだ。

2007年12月16日

地域資源にもっと目を向けて

12/15(土)、第5回京都ものづくり講座で、「環境問題と伝統工芸」の関わりについて考えた。
http://blog.canpan.info/monodukuri/daily/200712/16

古の日本人の多くは田畑を耕し、農作業のできない時期は身の回りにある自然素材を使ってものづくりをして、生計を立てていた。伝統工芸は、そのものづくりがプロフェッショナル化したものといえよう。
一方、環境問題を語る際には、「地産地消」、「フードマイル/フードマイレージ」という言葉もさかんに使われるようになってきた。

これらに共通しているのは、自分たちの身の回りにある資源を生かして、資源が枯渇することのないように、自然とともに生きること。

近年、様々な地域のまちづくりの事例を見ても、成功事例といえば、柚子や醤油など、地域資源をうまく生かして市場での地位を確立できたものばかりといってもよいだろう。今やネット社会となり、市場は全国、全世界に広げることができる。あとは、地域資源をどう際立たせて見せつけるかだ。新しいことに手を出すのではなく、今自分たちが持っているものをじっくり見つめ直し、余計なものを剥いだものがそれだ。

来春、佐渡にこんな学校が開学するようだ。
「佐渡 伝統文化と環境福祉の専門学校」
http://www.sado-nsg.com/

地域資源を生かし、若者を呼び込む好事例となることを願うばかりだ。

2007年12月9日

ニュートラルであること

12/8(土)、9(日)の「京都環境フェスティバル2007」に、ブログミーツカンパニーとして出展した。BMCにとっては、これがブース出展デビューだ。これまで、ネット上の閉じられた環境で活動してきたが、初めて社会の風にさらすことになる。
こうして、初対面の方々とBMCの活動について話すと、やはり様々な反応に出会う。これを通して、BMCを改めて客観的に見直すことができる。
多くの方が、BMCの活動が全くのボランティアによって運営されていることに驚かれる。誰からも援助を受けることなく活動することは、たいへん厳しいこと。でも、だからこそ、特定の事業者の利害関係とは関係なく、ニュートラルな立場で活動することができる。自分たちの意志を貫くことができる。
今回の展示会を通して自分たちの思いを語り、強く共感できる方ともお会いすることもできた。2008年には、BMCは新しいステージへ歩みを進める。

2007年12月2日

自然との一体感

「京都と近代日本画」展で、明治後期から昭和初期を彩った数々の日本画の名作を鑑賞した。そのなかで、ひときわ輝いて見えたのは、やはり上村松園氏の美人画だ。代表作ともいえる「人生の花」を含む3作品が展示されていた。彼女の描く曲線は本当に美しい。つい惹き込まれてしまう。
3作品のうちのもうひとつが、「待月」だった。女性が月見をしようと、庭先で月が出でるのを待つバックショットだ。当然、月は描かれていない。ただ女性の後姿なのに、月を待っている女性のそわそわ感が伝わってくるのだから不思議だ。
そして、その女性の帯をよく見てみると、兎の紋様が描かれている。着物の帯は、ただの柄などではなく、人の気持ちを表現するものとして用いられていたことがわかる。おそらく、その帯を付けて月を鑑賞し、自分もその風景の一部となって、自然との一体感を楽しんだのではないか、と想像してしまう。季節の動きは、体で心で敏感に感じ取り、それを生活の中に取り込んでいくもの。古の日本人の暮らしぶりを垣間見るようだ。