2007年5月20日

NPOと条例

5/19(土)、京都市景観・まちづくりセンターにて、「関西まちづくり交流セミナー」に参加した。
京都市の副市長を招いて、京都市の新景観条例の紹介と景観問題に詳しい大学教授らの講演、そしてパネルディスカッションがなされた。
今回の京都市の新景観条例は、ゾーニングとそれぞれの領域で、他に類を見ないに厳しい高さ制限を実施している。景観問題を真剣に取り組んでいる京都市の姿勢が市民にも伝わったことは、多くの市民の賛同を得ているというアンケート結果に表れている。

パネルディスカッションを聞いていると、この条例の策定には、古くからまちづくり活動をしてきたNPOからの提案があってこそ実現したものであることがよくわかった。NPOが市の施策立案に入り込み、実現していく時代はすでに始まっている。行政がいくら研究しても定期的に異動させられる事務職員には限界がある。京都のことは、市民自身が一番よく知っている。街の方策を決める上で、市民の経験と知を生かさない手はないだろう。僕らも始めるよ。

2007年5月9日

「NPOと行政の協働」



今日、京都府庁旧本館で行われた「知事と和ぃ和ぃミーティング」に参加した。
今日から、旧本館内にパートナーシップセンターが設置されたことに伴って開催されたミーティングだ。ここでは、NPOと府の職員が対等な立場で、まちづくりを運営していくための協働の場を創出する。府庁の中核ともいえる旧本館内にこのような場をつくり、今回のミーティングを開催することから、知事の本気さが窺える。

多大な赤字を抱える中、環境問題や高齢化、犯罪などといった社会問題の増加には、もはやこれまでの行政の力だけで対応しきれないことは明白だ。知事は、行政の果たしてきた役割をNPOに委譲し、責任と権限をNPOが担うことも示唆された。また、NPOとの協働予算は年々増加しており、今年は数億円規模になるという。府の取り組みが、そこまで進んでいることに驚かされた。それを実りあるものにするには、行政の意識改革は欠かせない。

パネラのひとりが、「NPOは、自治会や消防団が形を変えたもの」と言った。そう、NPOは昔からあったのだ。地域社会の繋がりが弱くなる中、NPOという手法で今それを補完するのだ。

2007年5月6日

城端の曳山祭



5/5(祝)、富山県南砺市城端(じょうはな)の曳山祭を観に行った。

城端はほんとうに小さな町で、曳山祭は地域の人が楽しむ地元の誇りともいうべき祭りだ。手の込んだ木彫り彫刻で有名であり、気品高い染織作品も手がける伝統技術が今も息づく地域だ。

この祭りは、この町を巡行する6基の曳山と各山に追随する庵屋台は、この地域の技術の集大成ともいえるだろう。七福神や中国の寓話をあしらった彫刻は立体的で、本当にすばらしい。その曳山は七福神などのご神体を乗せ、「ギィー」という音をたてながら、町を進んでいく。地域の人はあたたかく見守る。

そして、何よりも見どころなのは、庵屋台で披露される庵唄だ。庵屋台の上部は、京都祇園の一力茶屋などを模してつくられたもの。精緻なミニチュアの欄間には、木彫りの技が生きている。三味線、太鼓、笛、謡いが庵屋台の中に入り、その年の唄を披露する。庵屋台を眺めながら、座敷で聞く庵唄は格別だ。まるで、祇園の茶屋で遊んでいるよう。唄い手たちは、この日まで練習に練習を重ねてきたのだろう。老いも若きも声を揃え、観衆の前に声を響かせる。

ここにも、地域のコミュニティと彼らの心意気が生きている。城端の方々からは、熱い歓迎を受けた。こうして、客人をもてなす心も忘れないようにしたいものだ。

がんばろう!能登半島


5/4(金)、石川県七尾市の青柏祭(せいはくさい)を観てきた。

青柏祭の曳山は、別名「でか山」とも呼ばれている。当日は、3基のでか山が大地主(おおとこぬし)神社にそろい踏みする。民家の2階の高さを大きく超える山が、民家の間を縫って巡行する。巡行する人は誇らしげに、地域の人は笑顔で巡行を見守る。

先日の震災で、輪島に次いで震度のひどかった七尾。今回の巡行は見ることができないのでは、懸念していたが、どっこい地域の底力は祭りを絶やすことを許さなかった。この祭りをやるからこそ、地域が元気になるのだろう。でか山の巡行を仕切る方の腕には、「がんばろう!能登半島」の文字が。そういえば、10年ほど前には「がんばろう!神戸」という文字を確かに見た。目頭が熱くなる。

いつの時代も、どの地域でも、祭りはそこに住む人々を結束させるツールとして、重要な役割を果たして来た。「こんな時だからこそ」地域に元気を取り戻すために、この祭りを行わなければならないのだ。そこに住む人々の思いが、それを支える人々の心意気が、ここに結実する。